耳鼻咽喉科は頭蓋底から頸部までの範囲を診療対象とし、その中には聴覚、平衡覚、味覚、嗅覚、そして一部視覚と重要な感覚器が含まれます。さらに顔面の知覚も含めると、人間の全ての感覚入力を診療の対象とすることになります。これら人間の5感(平衡覚を入れると6感です)の障害は、私たちの生活に極めて重大な影響を及ぼします。また、私たちの日常生活における運動機能を考えるとき、言葉を話す、食べる・飲む、バランスを取って歩く・運動するなど、極めて重要な動作の管理、調節が耳鼻咽喉科医の手にゆだねられています。診療および研究の対象はあらゆる年代に及び、新生児から高齢者まで全ての世代の生活の質を高めることが我々耳鼻咽喉科医に対して要求されています。
一方、現代医療の重要な課題として悪性腫瘍があげられます。頭頸部癌はその整容面と機能面から、極めて治療の難しい疾患です。非常に高い専門性が要求され、他の耳鼻咽喉科領域に専門性を有する医師が同時に扱うのは不可能です。この頭頸部外科を専門とする医師は従来耳鼻咽喉科の中に所属していましたが、近年頭頸部癌診療の重要性が叫ばれる中、東京医科歯科大学では平成11年4月、全国に先駆けて頭頸部外科が独立した教室として設立されました。これにより、全国屈指の高いレベルの頭頸部癌診療が可能となっています。
耳鼻咽喉科学教室では近年、めまい・難聴の診療・研究を強みとして、多くの成果を上げてきました。その伝統は現在まで受け継がれ、さらに大きな発展を続けています。また、頭頸部外科学教室では一般の頭頸部癌に加え超高難度の頭蓋底腫瘍の外科治療が積極的に行われており、頭蓋底手術といえば東京科学大学(旧:東京医科歯科大学)、と言われるまでになりました。さらに耳鼻咽喉科と頭頸部外科を専門とする医師がともに診療を行う利点を生かし、外耳道癌など側頭骨腫瘍の症例も全国屈指となっています。近年の超高齢化社会において、頭頸部癌診療は欠くことのできないものです。加えて、認知症発症の重要な因子となる難聴に対して、遺伝子診療や人工聴覚器手術の必要性は極めて大きくなっています。さらに、高齢者のめまい・平衡障害による転倒に伴う大腿骨頸部骨折は年間15万例に及び、それに対する医療・介護費用は年間3000億円を超え、予防医学的介入が医療経済学的にも喫緊の課題です。これらすべての診療・研究が高いレベルで進められています。
私たち東京科学大学耳鼻咽喉科学教室は、お茶の水・湯島という交通ならびに文化の要衝の地で、高度で安全な医療の提供、優れた臨床医の教育、先駆的かつ臨床に根ざした研究を行うべく日々力を合わせ努力しております。
昭和3年10月12日東京高等歯科医学校が設置され、この日が本校の創立の日とされています。その後、昭和19年4月1日東京医学歯学専門学校と校名を変更し、医学科が増設されました。同時に堀口申作初代教授により耳鼻咽喉科が開講され、創設以来既に70余年を数えます。昭和21年8月東京医科歯科大学に昇格し、予科も設置されました。昭和25年3月、東京医学歯学専門学校は廃止、同年4月、予科が千葉大学に移管され、千葉大学東京医科歯科大学予科となりました。昭和26年4月、新制東京医科歯科大学となり、同30年4月、大学院(医学研究科、歯学研究科)も設置、昭和33年4月には医学・歯学進学過程が国府台分校として設置され、これは後に(昭和40年4月)教養部となしました。耳鼻咽喉科学教室はその後渡邉勈教授(昭和49年4月~)、小松崎篤教授(平成2年3月~)の時代を経て大きく発展を遂げ、平成11年4月、先代喜多村健教授就任の折には、耳鼻咽喉科と併設される形で頭頸部外科学教室が開講され、岸本誠司初代教授が同時に就任されました。以降、耳鼻咽喉科と頭頸部外科の2つの教室が共同で運営されています。平成27年4月から耳鼻咽喉科学教室は堤剛が5代目教授として、頭頸部外科学教室は朝蔭孝宏が2代目教授として就任し、教室運営を行っています。
そして令和6年10月から東京医科歯科大学は東京工業大学と統合し東京科学大学へと生まれ変わりました。
一方、昭和29年4月医学部に難聴研究施設が設置され、施設長に堀口申作教授、難聴機能検査部に恩地豊教授が任命、その後角田忠信教授(昭和53年11月~)に引き継がれました。昭和35年4月には難聴病理研究部が設置され、秋吉正豊教授が就任しました。さらに昭和38年4月聴覚機能研究部が設けられ、村田計一教授が着任しました。この施設は本邦唯一の国立大学難聴研究施設として多くの研究成果をあげましたが、昭和48年9月難治疾患研究部が発足するに際して発展的に解消しました。